シリーズ親の老後を考える/私の取材ノートから

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2011年09月29日

介護付有料老人ホーム「チャーム東淀川瑞光」に思うこと

 シティライフ9月号介護ページでご紹介した介護付有料老人ホーム「チャーム東淀川瑞光」(3階建て、全46室)。先日オープン直前の内覧会に行ってきました。このあたりは比較的庶民的なまちで、住宅街に溶け込むようなたたずまいに、好感が持てました。

 写真は2階のリビング兼食堂。カーテンを開けると、新幹線が、すぐ目の前に見えます。防音仕様で、音は気になりません。

 事業主体の㈱チャーム・ケア・コーポレーションは、もとは建設業でしたが、05年から有料老人ホーム事業をスタート、奈良、大阪、京都、兵庫などに12施設を展開し、そのほとんどが満室になっています。近年、入居者獲得に苦戦するホームが非常に多いのに、この人気ぶりはいったい? やはり入居一時金ゼロ円、月額利用料20万円以内(例外もあります)という料金設定で、ターゲットがはっきりしているからでしょうね。

 以前は、有料老人ホームの入居一時金は数千万円から1億円台も珍しくなく、圧倒的な豪華さを誇っていました(もちろん、いまも超豪華なホームはあります)。ところがチャーム・ケア・コーポレーションが参入した頃から、入居一時金が数十万円とか、ゼロ円といったホームが現れてきました。これらのホームには老後のステータスシンボルみたいなゴージャス感はありませんが、18㎡くらいの居室は、ちょうど「自宅の離れの介護室」といった温かい感覚ですね(^^)。入居一時金が不要ということで、自分に合わなければ退去も気楽にできるし、短期間の利用も可能というわけです。

 2040年には、年間死亡者数は166万人とも、180万人とも推測されています。現代の2倍近い看取りを、いったいどこでするのか…。私は、ここチャーム東淀川瑞光のような、気負いのない、まちのホームが、その役割の一端を担っていくと考えています。近所の人がボランティア活動などで出入りし、よりよいホームに育てていってほしいものです。

チャーム・ケア・コーポレーションhttp://www.charmcc.jp/index.php
  


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2011年09月28日

マータイさんの訃報と「もったいないばあさん」

 きのうのニュースで、ノーベル平和賞受賞者のマータイさんの訃報が伝えられていました。まだ71歳なのに、癌の治療中だったそうで、本当に残念です。マータイさんといえば、日本語の「もったいない」を、「MOTTAINAI」という世界の共通語にして、エコ活動を広めた方として有名です。

 私がマータイさんの活動に関心を持つようになったのは、2009年10月号のシティライフインタビューで、神戸出身の絵本作家・真珠まりこさんのインタビューをしてから。真珠さんは、4歳の息子さんに「もったいない」と言っても通じなかったことにショックを受け、何とか、子どもに分かりやすく伝える方法はないかと考えたそうです。絵本など探したそうですが、なかった。そこで、自分で創るしかないと思い至り、写真のような「もったいないばあさん」というキャラクターが生まれました。ホームページを拝見すると、元気がわいてきます!

真珠まりこさんホームページhttp://www.marikoshinju.com/

 「もったいない」という言葉、最近は聞くこと自体少なくなりました。外食でも、もったいないと言って残さず食べると中年太り確定。レストランなど、シニア向けの少量メニューがあるといいのに…。

 大正9年生まれの母は「そんなことしたら、もったいない。感謝しなさい」と、私たち4人きょうだいを叱って育てました。戦争中の、もののない時代を生き抜いてきましたから、当然のことなのでしょう。去年、母にもらった色足袋は、生地が薄くなった部分に裏からツギが当てられ、刺し子風に、きれいに補強されていました。いまも「もったいない」暮らしは健在なのです。

 昨今の電力不足など見ていると、いまこそ、大正生まれの出番!という気がしてなりません。大正生まれは人口の4,4%。約5663千人(平成20年のデータ)。全国の、大正生まれのもったいないばあさん、もったいないじいさん、遠慮しないで、どんどん私たちに知恵を授けてください、叱ってください!!

  


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2011年09月27日

きょうだいで一緒に考えたい「親の老後」

 あっと言う間に10日間もご無沙汰してしまいました。お恥ずかしい限りですm(__)m。

 この10日間、敬老の日やお彼岸があって、私は、昨年95歳で看取った父のこと、91歳の母の暮らし、自分の老後、きょうだいとの関係、ふるさとのこと…いろいろ考えていました。

 「親の老後を考える」とひとくちに言っても、きょうだいがいれば、それぞれ、親に対する思いも、できることも、したいことも、距離も違います。理想は、きょうだいが十分に話し合い、一致協力して、親が願う老後を、一緒に支えることだと思いますが、それが…難しい…。幼い頃からの、きょうだいの関係性、信頼関係を築いてきたか否か、相性、連れ合いの考え、それに悲しいかな…お金も、影響するでしょう。

 それだけ、親の老後・親の看取りは誰にとっても重く、露わにならなくてもいい、思惑や葛藤まで、露わにしてしまう力があります。きょうだいであっても、相手を思いやる気持ちがなければ、残酷な結果を招きます。

 だからというわけではないのですが、10月号の「親の老後を考える」(版によっては11月号)は「成年後見制度」について取材しました。きょうだいで「お父さん(お母さん)を、今後どのように支えていこうか?」「認知症に備えて、こんな制度があるのか、一緒に勉強しようか」などと、早めの話し合いのキッカケにしていただければ幸いです。成年後見制度の学習会や相談会は、司法書士さんを中心に、あちこちで開かれています。

 すっかり秋めいてきました。できるだけ毎日、書きますね。写真は、7月に訪れた松本城です。
  


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2011年09月17日

ドラマ「やさしい花」と、つどい場さくらちゃんのこと

 昨夜放送されたNHKドラマ「やさしい花」ご覧になられましたか?虐待がテーマですが、3人の子どもを成人させた母親として、私の感想を書いておこうと思います。

 いちばん印象的だったのは、石野真子さん演じる友子が、下の階の母子を助けようと動き始めたとき、夫役の西川さんが「僕だって、ちゃんと手伝った、協力したやないか!」と言い、夫婦が激しく言い合うシーンです。脚本の安田真奈さん、さすが!と思いました。なぜって、私も何度も同じ言い合いをしましたから。「男親は、お手伝い、育児の責任者は女親、そういう考え方がおかしい。父親も母親と同じ当事者でしょ」と。

 私の育児もドラマの中の友子に似て、知り合いもない土地で、夫はいつ帰ってくるか分からない仕事で、一人ぼっちのスタート。夫は冷静な文化人で、私が熱くなればなるほど落ち着いた顔で言うのです。「感情を自分でコントロールできない人間は嫌いだ」と。結局、自分で悩みのトンネルからに抜け出すしかないと悟り、共同保育グループに参加したり、ライターの仕事を再開したり、そしてフェミニズムに出会い、自分を立て直すことができました。

 でも、最近思うのは、子どもが小さいときって、しんどいけれど、うれしいこともたくさんあった、あの時間を、もっと楽しめばよかった、そういう社会の支援があったらなということです。当時はゆとりがなくて毎日必死で、叩くことはなかったけれど、育児を心から楽しめなかった。いま、子ども部屋を片付けているのですが、埃だらけの玩具や絵本を見ると(写真)、胸に疼くものがあります。

 実は、孤独な育児は、孤独な介護・孤独な高齢者の現実と響き合っています。高齢者の虐待問題も非常に深刻です。かつては縁側に何となく老若男女が集まり、子育ての経験を話したり、介護の大変さを聞いたり、実際に手を貸したり、見守りあったり、助け合いがありました。ドラマの最後、友子がユカを抱きしめ「一緒に育てよう、大丈夫よ」と言うシーン、思わずホロリときました。私が暗闇から立ち直れたのはフェミニズムのおかげですが、本当は、あんなに誰かに抱き締めてほしかったなと。

 NPO法人つどい場さくらちゃんを取材したのは2008年8月。介護家族が泣きたいときに泣ける、本音で話せる場所として2004年、理事長の丸尾多重子さんが西宮市に開設。ほんわかとして、しゃべったり、食べたりしていると、いつの間にか元気がわいてきます。いまも勉強会や、講演会や、見守り活動など、活発にされています。こういう場が地域にいっぱいできれば、育児や介護がもっとゆとりを持ってできると思います。もちろん、育児や介護が一段落したとき、いつでも仕事に復帰できる制度などが前提ですが。

NPO法人つどい場さくらちゃんhttp://www.tsudoiba-sakurachan.com/
NHK大阪放送局子どもを守れ!http://www.nhk.or.jp/osaka/kodomo/  


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2011年09月15日

石野真子さんの「やさしい花」明日放映です

 今月号のシティライフインタビューは、石野真子さんです。お読みいただけましたでしょうか?

 石野さんは、とても真剣に、一つひとつ、言葉を選んでお話くださり、感動しました。女優さんとお話している感じがあまりなくて、不思議な感覚…。

 これまで、芸能人の方、文化人の方、たくさんのインタビューをさせていただきましたが、取材慣れされている方から、いかに、ほかでお話になっていない言葉を引き出すかが、インタビュアの腕の見せ所であり、醍醐味だと思うんですけど、これが、けっこう難しい…。

 関西の女性作家T先生も、すらすらお話になる言葉が、やはりどこかで読んだことがある。「どうして、小説を書かれるのですか」粘って、粘って「義憤です」という言葉が、ほろりとこぼれ落ちたとき、「書けた」と思いました。

 オペラ歌手のSさん。取材を取り次いでくださった方がインタビューに同席してくださったんですが、私の取材ノートを覗き込んで(事前に、取材の流れを書いていますので)「Sさんは、いつも同じ話だから、覚悟しといたほうがいい」と言われました。ところが、この日、Sさんと深い、深い、お話ができたんです!出産のお話がきっかけだったんですが…。取材が終わって、その取り次いでくれた男性、「これからはSさんの取材は出産経験のある人に頼もう」と、ちょっと口惜しそうで面白かった(^^;)。

 さて、明日16日(金)20:00~石野真子さん出演の「やさしい花」(NHK総合・関西地域)が放映されます(全国放送は10月10日)。昨年、大阪市のマンションで、育児放棄により2児が餓死した事件は、本当に痛ましいものでした。虐待をみんなで考えようというのがこのドラマのテーマです。紙面もあわせて、ドラマも観ていただけるとうれしいです。やさしい花というのは、ヒメジョオンの花(写真)のことだそうです。  


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2011年09月13日

「年齢は背番号、人生に定年なし」マイスター60のこと

 前回、「おひさま」の夏子先生のように、100歳近く?でも仕事をしているのは幸せなことと書きました。生涯、仕事をする、人から必要とされる、高齢期の暮らしで、もっとも理想的なことだと思います。

 昨年95歳で亡くなった父は、66歳で役所を退き、その後は遺族会や障がい者施設のお世話など、率先してしていました。東京へ出張する途中とか言って、80過ぎまで、大阪にも一人で来ていました。88歳になる直前に、脳梗塞を起こして世話役を退きましたが、回復してくると、さみしそうでした。「100歳が目標。でも、ただ、生きとるだけじゃあのう」と。

 写真の本は、シティライフ2006年8月号で取材した、「マイスター60」の平野茂夫社長(取材当時)が書かれた本です。当時、マイスター60の紹介の記事を、私は下のように書き出しています。

「タイトル」60歳からのリクルート
「リード」なんと「入社資格は60歳以上」という会社を見つけました!1990年2月、大阪で創業。十数名だった社員は現在、全国に約600名にもなり、年商は17億円に。この会社がすごいのは、大企業のOBの受け皿とかボランティア会社ではないところ。やる気満々の“匠、輝くスター”。だから社名は「マイスター60」です。改正高年齢者雇用安定法が施行され、60歳からの働き方に注目が集まる中、生涯現役を貫くカッコいいマイスターたちに会ってきました……。

 2006年は、2007年問題(団塊世代が定年に)の直前で、高齢者問題があれこれ語られた年でした。4月に改正高年齢者雇用安定法が施行され、事業主は、定年の引上げ、継続雇用制度の導入、定年の定めの廃止の3つのいずれかの措置をとれと。で、私も、高齢期をいかに元気に迎えるかというテーマで集中的に取材していました。「マイスター60」のモットーは“年齢は背番号、人生に定年なし”。同社のホームページを見ると、やはり活気があります。仕事も紹介されていますよ!
マイスター60 http://www.mystar60.co.jp/  


2011年09月09日

きょうは重陽の節句です


 きょうはお茶のお稽古に行ってきました。9月9日は重陽の節句で、お菓子は定番の「着せ綿」。平安時代からの宮中の行事だそうで、前夜、菊に綿を着せて、夜露と香りを含ませ、それで体をぬぐって、長寿を祈っていたとか。ピンクのところが菊で、上の白いところが綿をあらわしています。おいしいお菓子でした。
 
 私は10年くらい前から和の伝統的なものにはまって、茶道、きもの、書道などに心惹かれるようになりました。もともと着物は好きで、20代のころ、京都で和裁を習っていたこともあります。実は傾聴ボランティアも、きもの姿でさせていただいているんですよ。いまの高齢者の方々は、子ども~娘時代に、着物の暮らしをしておられたからか、とても喜んでくださいますから。

 私の母も大正9年生まれで、満91歳。私が着物で実家に帰ると、すごく元気になって、きもの談義で盛り上がります。若いころは、戦争に男手を取られ、ずいぶん苦労して、土方をしたり、田を耕すのに牛まで使ったといいますから、きれいな着物とは縁が無かったと思います。13歳から89歳まで、欠かさず家計簿をつけていて、表彰されたこともありました(1ヵ月も続かない私は、いったい誰の子?)。姉と私を嫁がせた50代後半頃から、華道を始め、自分の着物を買い揃えていたような…。「この着物は、お父さんが悪いことをしたとき、ン十万円で買ったんよ」とか言って、いまは笑っています。



 この写真、どこか分かりますか?先日、麻植さんのホームを訪れる前に2日間、信州の松本などを旅しました。NHK「おひさま」の舞台です。主人公の陽子は大正11年生まれ。うちの母と同年代ということで、よく観ました。母の暮らしは、どちらかというと、小学校を卒業できなかったユキちゃんに近く、「おひさま」の戦後編は、あまりにもいい人ばかりが登場するので、少々気持ちが離れていましたが、きょうの赤い屋根の家も、見てきましたよ。川の水が、本当にきれいでした。



 きょうの「おひさま」では、奈津子先生が、まだ存命で(百歳近い?)、仕事をしているという話が出てきました。これは、うれしいことでした。「親の老後」も、私たちの老後も、やはり、いくつになっても自分の居場所がある、必要とされることが、いちばんだと思いますから。元気な高齢者が、少し見守りが必要になった高齢者の話し相手などで活躍する…地域の絆を深めていく…。そういうシステムをつくっていくことが大切だと思います。いのこの里のボランティアさんなどは、いい例ですね。  


Posted by setsuko58 at 20:35Comments(0)

2011年09月08日

住民パワーでつくった特養「いのこの里」


 こんにちは。少し日が開いてしまいました。実は私、ライター歴30年超でありながら、ブログは初めてで、ブログ研究会に参加したりしながら、たどたどしい歩みを始めたばかり。読みにくい点も多いかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。改行したほうがよいとの指摘を受け、今回は改行を入れてみます。

 さて、前回の文章の終わりに、人生の終末期を「他人任せにしてはだめ…」といったことを書きました。きょうは、ひとつ、身近な例を挙げてみたいと思います。

 吹田市の特別養護老人ホーム「いのこの里」。このホームは「吹田市内に誰もが入りたくなる特別養護老人ホームをつくる会」という市民グループが、5年がかりで実現させたんですよ!自分たちの「夢を語る会」を地域で何度も開き「お酒やタバコは人生の愉しみだから適度ならOK」「夜、入浴したい人は夜の入浴もありに」「温泉旅行やお墓参りにも行こう」といった運営方針をみんなで決め(つまり自宅の延長線上の暮らしですね)、お金もみんなが集めて、社会福祉法人こばと会に託すかたちで。2000年にオープンすると、「つくる会」は「育てる会」に発展、年間のべ3000人のボランティア(多くは定年後、子育て後の男女)を送り込んで、「いのこの里」を支えています。つまり、地域の中高年の生きがいの場にもなっているんです…というわけで、私も、傾聴ボランティアとして微力ながら参加させてもらっています。本当に、感謝、感謝です。

 もちろん、ここまでパワフルに住民運動が盛り上がるのは、吹田市という地域の意識の高さもあるでしょうし、運動の発端をつくった山下和子さん(副施設長)の実行力もすごいです。誰にもマネできるわけではありません。でも、あなたの近所に、特養やグループホーム、有料老人ホームなどがあったら、「お手伝いすることはありませんか?」という声を掛けてみるところから始めみては、と思います。年を重ねてゆく方々のそばに座らせてもらい、いろんなお話をうかがっていると、親の老後、自分の老後を考えるヒントを、たくさんもらえますし、元気や勇気もいただけますから。
■社会福祉法人こばと会「いのこの里」http://www.kobatokai.jp/inokonosato/
■前回ご紹介した麻植さんのホームはhttp://www.carehome.co.jp/  


Posted by setsuko58 at 16:19Comments(0)

2011年09月03日

小規模のホームで最期まで生き生きと暮らす

 こんばんは。台風が近づいて、こちら、雨が降り出しました。被害が広がらないように祈るばかりです。さて、昨日の続きですが、今回取材した麻植さんのホームは長野県茅野市にあります。介護付有料老人ホーム「リゾートケアホーム蓼科」(05年開設、定員10名)、同「ケアホーム豊平」(09年開設。定員18名)、「グループホーム豊平」(10年開設、定員9名)の3つ。写真は、ケアホーム豊平の廊下の美しい木組みの天井。北欧らしいデザインが素敵ですね。ここのポイントは、木造2階建ての「家」であり、定員が少ないこと。多くの人が自宅で死にたいと願っていますが、日本の場合、在宅介護に掛ける費用が最高でも約36万円(スウェーデンは72万円!)で、家族の介護負担が重くなり、難しい。そこで麻植さんは、小規模の家族的なホームをつくり、最期をどうするか家族や本人ときちんと話し合い、病院の延命治療を望まない人は、安らかに、ここで最期まで暮らせるようにしたのです。もちろん、医療との連携を十分に図り、スタッフの研修にも力を入れて…。私は、父の入院中、ずっと泊り込んで付き添ったのですが、睡眠時無呼吸症候群の苦しい治療(圧力をかけて空気を気道に送り込む)など、95歳で最期を迎えようとしている人に、なぜ?と。誤嚥するからと、水も食べ物も一切禁止でしたが、最期こそ、好きなようにさせてあげたかった。「水を一杯くれ」「スイカを一口…」父の声がいまも頭から離れません。だからこそ、麻植さんの「自分らしい最期が迎えられる社会にする」という言葉に期待がふくらみます。ただし、他人任せはだめ。私たち一人一人が、自分は、どこで、どのような死に方をしたいのか、日ごろから考えをめぐらし、周囲に吹聴しておく必要があると思います。ま、2040年には、全国の死者数は166万人とも170万人ともいわれますから(05年は108万人)、病院で死にたいといっても、ムリ、ムリってなことになるかもですが。  


Posted by setsuko58 at 22:43Comments(0)

2011年09月02日

八ヶ岳の麓の超パワフルな麻植佳子さんに会ってきました

 今月の「親の老後~」読んでいただけましたか?今回は信州の蓼科などで3つの小規模ホームを運営されている麻植佳子さんの登場です。麻植さんは、スウェーデンで7年間、看護師として働き、認知症ケアや看取りに携わってこられました。あちらでは、老衰の人が亡くなる場合は、在宅で、点滴もせず、心電図などのモニターもつけず、ほとんど聴診器だけで看取るのだそうです。亡くなる30分前にミサをして、本当に安らかに…。一方、日本では、死者の約85%が病院で亡くなっています。麻植さんとは約10年前に取材を通じて知り合ったのですが、スウェーデンでの安らかな看取りの話が忘れられず、今回、麻植さんに、どうしても会いたいと思いました。というのは昨年、父を看取ったとき、色々考えさせられたからです。
 父は、昔から「家で死ぬ」と言い続けていました。実際、家で死ぬための努力もしていました。87歳のとき、脳梗塞を患いましたが、リハビリをがんばって、畑仕事までできるように回復。デイケアに通うなどしながら、95歳で倒れた、あの日まで、自立して暮らしていました。でも、運悪く!デイケアから救急病院に運ばれたため、有無を言わさず延命コースに乗せられて…。入院から28日目、意識が混濁し、肩で息をするような状態の父が一瞬、目を大きく見開き、私の目を真っ直ぐに見て言ったのです。「いぬる(自分の家に帰る)」と。私も覚悟を決め、周囲を説得し、自宅に連れて帰りました。父は玄関をくぐると涙を流して喜び、母と私と川の字で寝て、4日目の朝、眠るように逝きました。でも、1ヵ月近い病院の治療は、つらかったと思います。多くの人は家で死にたいのに、日本ではそれが難しい。そのあたりを、麻植さんと話し合ってみたくて、それから大阪・東京より15℃も涼しいことに惹かれて、出かけました。写真は、再来年、新しくグループホームを開設する予定地に立つ麻植さん。蓼科と豊平の間の、自然がいっぱいで、小鳥のさえずりが心地よい、素敵な場所でした(つづきます)。   


Posted by setsuko58 at 05:08Comments(0)